【#2】私の犬、モカ

 私の家には犬がいる。名前はモカだ。

私とモカが出会ったのは水曜日のことだった。

朝、私が頼まれていたゴミを捨てに行くと、ひしめき合ったゴミの間に何か茶色い物が見えた。不思議に思って覗くとそこには一匹の犬が捨てられていた。

ミルクティー色の毛並みは所々薄汚れ、寂しそうにこちらを見るその姿を見て、私は急いで家へと連れ帰った。

家に帰るとまず洗面器に湯を溜め、石鹸を泡立ててゴワゴワしている毛を優しく洗った。そのあと何度かシャワーを当てながら汚れが消えるまでよく濯いで、フワフワのタオルで丁寧に水気を吸い取ると、モカはまるで捨てられていたのがウソのように可愛くなった。タオルの中からこちらを見るモカはとても嬉しそうで、それを見ていた私もとても嬉しかった。それから一日中、私とモカはずっと一緒に過ごした。

うちではペットを飼ったことがなかったが、捨てられていた子を拾ったのだ。最後まで責任を持たなければいけないし、なにより既にモカの居ない生活は考えられない。

私はモカを家におくことを決めた。

 しかしそんな私の心を踏みにじるように、仕事から帰ってきた母はモカを元の場所へ返すように言ってきた。ああ、またか。私は怒りで震えながら思った。

私の母は昔から私がなにかしようとすると反対するのだ。ろくに話も聞かないで私のことを追いつめる。いつもは話をするのも嫌で母の顔を見ると部屋に戻るのだが、今回ばかりは絶対に譲らない。私はモカを守らなければいけないのだ。

私は必死で声をあげ、強く訴えた。母が嫌そうな顔をして台所へ逃げて行っても追って気持ちを伝えた。そうして最後には母が折れ、モカは正式にうちの家族となった。

 それからは毎日モカと遊んだ。私がベッドから出られないときも、モカは責めるでもなく傍で優しく見守ってくれた。モカを撫でると柔らかな手触りでとても気持ちがいい。モカは可愛い。嫌なことを思い出して泣いていてもモカだけは慰めてくれる。いつしかモカは私の心の支えになっていた。

 そんな日がしばらく続いたある日、私はモカを連れて散歩に出かけようと思い立った。

私は普段、燃えるゴミの日しか外に出ない。母の仕事が早出で、仕方なくゴミ捨てに行っているのだ。それだって夜眠れないから当然朝は起きられなくて、結局行かないことの方が多い。

でも近頃は風も涼しくなって快適だし、久しぶりに外が見てみたくなったのだ。小学校の下校時刻と重ならなければ大丈夫だろう。

そう思って私はその日、モカを連れて近くの公園へ行くことにした。

 曇ってはいるが、外は思った通り涼しくて気持ちがよかった。歩いているといつの間にか建っていた見知らぬ家や、以前よく通ったバス停などいろんなものが目に映る。私はその度連想ゲームのように嫌な記憶が思い出されるのを、腕の中のモカを撫でて気を紛らわせた。モカの毛並みは撫でていると苛立った気持ちが落ち着いていくのだ。

 それから5分ほど歩いて目的地の公園に着いたが、中を伺うと子供連れの女性がチラホラ見えて結局入るのはやめにしてしまった。仕方なく公園の外をだらだらと歩いてみたが、子供の甲高い声が聞こえてきてあまり居心地がよくない。

 と、そのとき突然ポツポツと雨粒が空から降ってきた。

それから驚く間もなく、にわか雨は急激に勢いを増して降り始め瞬く間に土砂降りとなってしまった。

 私は走って家へと帰り、大慌てでビシャビシャになった髪や体を拭いたが、行き来した廊下にも水溜まりができたりしてかなり最悪な気分になった。やっぱり外なんか行くんじゃなかった。私は苛立ちながら部屋に戻ると着替えて布団を被りその日は寝ることにした。

 それから数日、雨は降り続いていた。私は一日中ベッドの中で寝て過ごすことが多く、目が覚めたら夕方ということも少なくなかった。雨に降られた日のことで母が拭いたタオルを洗濯カゴに入れろとかで文句を言ってきたのを怒鳴り返したり、部屋に押しかけてきたのを無視して追い返したりと色々あったけれど、いつものことで何も変わり映えせずに日々は過ぎていった。

 それに気づいたのは、重たい低気圧がやっと過ぎ去った秋晴れの水曜だった。

その日の前日は特に見たい配信もなく、偶々早く寝ていたために目が覚めるとギリギリ収集に間に合いそうな時間だったので、私は仕方なく高校のジャージを羽織りゴミ捨てに行くことにした。

丸めたティッシュや総菜のトレイ、生ごみといったものが雑多に詰め込まれてパンパンになった袋は重たく、持ち上げる気力もないのでズリズリと引きずってゴミ捨て場へと向かうと、その日は運悪くの残り数メートルのところでコンクリートと擦れて袋が破れてしまった。

最悪。私は辛うじて袋の形状を保っている持ち手のある方を無理やりゴミ捨て場へと放り込むと、道路にぶちまけられた物を足で蹴ってゴミ捨て場の方へと寄せていく。

どうせこんなのは早々にカラスとかに啄まれてぐちゃぐちゃになるのだ。わざわざ掃除をしたりする必要などないだろう。それでも最低限やっておかないと誰かに見られて面倒なことになるかもしれない。そう思ってダルさを感じつつ、散乱したフライドチキンの骨(一昨日の昼食べたケンタのやつだ)を蹴っていると、ふと視界に薄汚れた茶色いなにかが見えた。

 「?」

気になってじっと見てみるとやっとわかった。

それは、モカだった。――――正確に言えば、”モカだったもの”だった。

 むごたらしく切り裂かれた毛並みを見て、あまりの衝撃に私はしばらく固まって、それから体の芯から燃えるような怒りに包まれた。殺してやろう。そう思った。

これを、だれがやったのかはもうわかっている。そんなに私が気に入らないのか。私は何かを愛して心安らぐことすら許されないのか。理解できない!普通私が嫌いだとしても八つ裂きにしたりするか?自分気に入らないものはみんな捨てて壊せばそれで満足か?なあ!私が嫌がらせされたのもみんな私が悪いのかよ!あんなクソ会社全員殺してやればよかった!!殺してやる!もう許さない!殺してやる!お前も!!みんな!こうやって殺してやる!そうして欲しいんだろうが!みんな私をバカにしてんだろ!許さない!ゆるさないゆるさない許さない!!!!絶対殺してやる!なあ!なあ!!死ね!死ねう!zぢねえいjをqpkオペロrおkrgk!!!!!!!3位路地エj」!ろrkぽ!Z!!!が!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 仕事から帰ってきた母は玄関の前に立っていた私に少し驚きながらこう言った。

「そういえば外に置いてあったぬいぐるみ、汚かったし今日のゴミで捨てたわよ。いらなくなったんならちゃんと自分で捨てなさいね。袋に入らなくて小さくするの大変だったんだから」

 

でも私はそれがなんて言っていたのかよく聞いてなかった。

振り上げたハサミを突き刺すのに忙しかったから。

 

 

 

 

www.amazon.co.jp

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。